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ビークル

過去・現在・未来。

時は流れ、人が生まれ成長し、やがては老いて死んでいく。
だが、時間の流れは便宜的なものであり、実質的に人が経験できるのは成長=老いだけである。
生まれることも死ぬことも自らの経験値としてはゼロだ。

時を継続させ、繋ぎ留めているのは人間である。
そして、人はそこに意味を付着させ、死に至る瞬間までその意味を更新しつづける。

人はどのような形であれ、あるいはどのような内容であれ、そのようにして時を過ごし、また、そこからは逃れられない。
そして人はそれを「生きる」と名付け、我々はそれを馬鹿正直に生きている。
それしか我々にできる手立てはない。
自死というのはまた別の話だ。

過去・現在・未来。
実質的に人が手につかめるものは常に過去ばかりである。

しかし、人は実際にはその手につかめないものを見つめながら生きている。
虹なんかつかめるものか。
つかむべきは虹なんかではなく、カップである。
だが、その手にしたカップは確かにあったはずの現在の証ではあるが、それをもたらしたものはすでにその時点で消えている。

そのようにして、人は瞬間的に過ぎてゆく現在をステップしながら、
次の大いなる生の証を求めてまた時を刻むのだ。



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「純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ」

--アンリ・ベルグソン『物質と記憶』


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