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--- 再 生  It lives again ---

人がもっとも恐れ、もっとも嫌い、もっとも憎み、もっとも忌むものは何でしょうか。

過去?

未来?

死?

闇?

心?

運命?

……。

人が憎んだり、恐怖したりする多くのものには正体がありません。
ただそれを持つ実体があるだけです。
人はそれを“現実”と名付けました。

見えないもの、知らないこと、不明なこと、わからないことを、
人は恐れ、不安であるがゆえに忌み嫌います。
でもそこには、わからないだけで、理解できないだけで、必ず実体はあります。
知り得ない現実、知りたくない現実。
どれも誰かの、何かの現実には違いありません。

2001.9.11アメリカ同時多発テロ。
たくさんの方達がテロの惨劇によって尊い命を失いました。
私はその事実をテレビや新聞、雑誌、インターネットなどのメディアによって知っています。
そこで知ったほとんどのものには、亡くなった方達に対する追悼の意と共に、テロに対する激しい非難が溢れ返っていました。

私はできることなら知りたいと思います。
命を失った人やその家族の悼む心と同時に、テロを起こさざるを得なかった人達の内面を。
突然、不条理に人生を断ち切られた人たちの無念さと、命を賭して世界貿易センタービルに“特攻”せざるを得なかった人達の語られることのなかったであろう心の内を。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

私が知っているすべてのことは、
私が知りたいように知り得ています。
私に限らず、人は知りたいことを知りたいように加工して知り得ています。
それらは決して事実そのものではありえません。
仮に生を光、死を闇とするなら、人はただ一個の身の内に光と闇を抱えていることになります。
ただし、人が自分の死を経験できない以上、闇そのものをもまた経験することはできないということになります。

生きて、死ぬこと。

これらのことは人類の長い経験によって間違いのない決定事項として等しく前提とされています。

生と死、光と闇。

この大いなる矛盾に、人はうろたえ、憎み、さらなる矛盾を再生産しつづけています。

良い、と言う人がいます。
悪い、と言う人がいます。

決めるのは誰なのでしょうか?

一方をもう一方から見れば常に悪だという認識は、果たして良いのでしょうか、悪いのでしょうか。

私は仮に「わからない」と答えましょう。
わからないことは良いのでしょうか、悪いのでしょうか。
私にはそれもわからないのです。
わからないけれど、わからないことを知っているのです。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

身近な人が死にます。
悲しいと思います。
悲しい悲しいと思いつづけ、やがてその記憶は日常の記憶から遠ざかっていきます。
決して忘れないけれど思い出さない。
そういう種類の記憶があります。

そこに至るプロセスを「喪の仕事」と名付けたのはフロイトでした。
日本には「日薬(ひぐすり)」という言葉もあります。

悲嘆は悲嘆によってのみ癒されます。
悲しんで悲しんで、悲しみの思いを表出させてやらなければなりません。
悲しむという作業を通じて人は初めて癒されるのです。
そして悲嘆はしばしば排他的でもあります。
自分にとってかけがえのない存在の喪失は、他人には決して理解できないものとの思いを強くし、他人の安易な同情の言葉に傷ついたり、反発したりするのです。
またある時は、どうせ理解されないのだからと孤立の中に自らを追いやったりもしてしまいます。
これは悲しみの元となった身近な人の死をはっきりと受容できないために起きることでしょう。

人の記憶は様々に分類されていますが、最も単純な分類は短期記憶と長期記憶に分けることです。
人が刺激を受けるとまず海馬が司る短期記憶に数秒から数十秒記憶され、そのままにしておけばその記憶は保存されないまま消えてしまいます。
しかし、その記憶を何度も何度も繰り返し反復することによって、数年から長いものは一生記憶する側頭葉の長期記憶へと移されます。
必要な時はいつでも側頭葉の抽斗を開けてその記憶を取り出すことができるのです。

悲しみはいつか必ずやってきます。
人にはいつかそんな経験をしなければならない時が来るのです。
いつやってくるかが違うだけで、それは誰の身にも起こってしまう。

悲しみを悲しみ抜くこと。
ちゃんと、正当に、誰からも非難を受けずにとことん悲しむこと。
それが終わると人は復活に向います。

身近な人の死が自らの小さな死だとするならば、それは再生と呼んでもいいのかも知れません。
つまり、誰かの死は誰かの再生へと繋がっていくのです。
それはまた、遺体を荼毘に付した際には物理的にも起こっていることです。
人を火葬にした場合、遺体は炭酸ガスと水に変わります。
炭酸ガスと水は煙りとなり、炭酸同化作用によって植物に取り込まれ、その植物を食べた人の胃のなかに入るか、それを食べた動物を人が食べることによって胃のなかに入るか、いずれかの方法でまた人に還ってくるのです。
そのようにして人は循環し、矛盾を取り込んでいるのでしょう。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

愛を声高に叫ぶのは、もしかしたら憎しみを生産することになるかもしれません。
なぜなら、誰かの愛が誰かの憎しみであるかもしれないからです。
「ありがとう」と誰かに伝えることは、誰かに憎しみを伝えることになるかもしれません。
なぜなら誰かにとってありがたいことは、誰かにとってありがたくないことかもしれないからです。
人は他人と同一にはなれません。
同一になれない以上、いつでもそういった可能性が消えることはないのです。
それでも人は愛を口にし、感謝を伝えようとします。
きっと人にはそれが必要なのでしょう。

9.11テロの際、国際貿易センターにはじめの飛行機が激突した直後からその一帯の電話回線は繋がりにくくなりました。

残っているある通話記録です。


妻「I'm so worried about you.Where are you?
    心配よ、どこにいるの?
  I hope you're okay...I hope you're on your way over
here」
    あなたが無事で…帰宅途中だといいんだけど
夫「I'm in the World Trade Center.
    国際貿易センターの中だ
  The building was hit by something.
    何かがビルに激突したようだ 
  I,I don't know if I'm going to get out...
   出られるかどうかわからない…
  but I love you very much」
    君を心から愛してるよ


このような電話が激しく行き交ったのでしょう、回線は夥しく混雑し、救助に当たった当局を混乱に陥れた要因になったとの証言があります。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

私は私の愛する者達に愛していることを伝えようと思います。
でもそのことがもしかしたらどこかの誰かに私にはわかりえない影響をもたらすかもしれないことは知っていようと思います。

私は6年前の9.11に、国際貿易センターのサウスタワー78階で、見ず知らずの誰かの救助のために自らの命を落としてしまった消防士のパルマ-大隊長やブッカ隊長が行なったことを知っていようと思います。
私は誰かのために自らの命をかけてユナイテッド航空93便をハイジャック犯から奪還しようとしたトム・バーネット、ジェレミー・グリック、トッド・ビーマ-、マーク・ビンガムたちが起こした行動を知っていようと思います。

だけど私は、同じように、
自らの命を賭けて国際貿易センターのノースタワーに突っ込んだエジプト国籍を持つ27歳のモハメド・アタや、
サウスタワーに突っ込んだアラブ首長国連邦の国籍を持つ23歳のマルワン・アルシェヒ、
ペンタゴンに激突したサウジアラビア国籍のハニ・ハンジェル、
ホワイトハウスに自爆しようとして叶わずペンシルバニア州シャンクスビルに墜落して命を失ったレバノン国籍の26歳、ハイジャック犯のジアド・ジャラ、
彼らの行なったことも、1967年にベトナムで戦ったアメリカ人兵士ケン・べレズの「戦場にルールなど存在しない。あるのは殺すか殺されるかだけだ」という言葉と共にまた知っていようと思います。

涙は心を、悲しみを確かに一時(いっとき)浄化してくれます。
だけど起こってしまった現実までを洗い流してはくれません。
悲しみを十分に悲しんだなら、人は再生に向わなければならないのです。
それは一方にとっての悪であるかもしれないにも関わらず…。

私に必要なのは、激しく必要なのは、社会性を持つ善悪の判断と同時に、社会性を超えた、善悪の彼岸としての“知”なのだと思います。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


   『Tomorrow Never Comes』        ノーマ コーネット マレック 作


If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow,
why not do it today?
For if tomorrow never comes,
you'll surely regret the day,
That you didn't take that extra time for a smile,
a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant sometime,
what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today
and whisper in their ear,
That you love them very much,
and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"..."Please forgive me,"...
"thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes,
you'll have no regrets about today.

 


   『最後だとわかっていたなら』       佐川睦 訳


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから





※上記は2007年9月11日に私が書いたものです。
2001.9.11から十年、そして2011.3.11の圧倒的暴力から半年後の今日、改めてここに記しておきます。


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